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読 み 順 ↓ | 千葉市と習志野市との境界だからかと思います。 幹線道路や県がつくった道路ならともかく、 住宅地の中のこまごました道はああなってしまうんでしょうねえ。 日本の行政の縮図ここにありといった感じですね。 総武線の車窓でもみごとにこの境目がわかりますよ。 (2004年11月13日 H24I0) |
読 み 順 ↓ | なるほど、単純に境界なんですね。住民の方々は隣同士ですが、特に違和感はないのかな。 それにしてもあの段差はやはり埋め立て時の防潮対策かなにかなんでしょうかね。 (2004年11月15日 H14I0) |
読 み 順 ↓ | 子供のころ、袖ヶ浦6丁目に住んでいました。袖ヶ浦の方が幕張西よりも早く埋立てられており、袖ヶ浦6丁目が三角の半島の様になっていて、お尋ねの線が海岸線でした。その後、幕張西1丁目等が埋め立てられました。(香澄や幕張西6丁目等の埋立ては、もっと後です。) その時に、袖ヶ浦6丁目と幕張西1丁目の間に緑地帯が設けられ、車での行き来は、京葉道路寄りの1箇所でしかできない構造にされました。 その理由は、14号の渋滞を避ける通過車両が、袖ヶ浦6丁目内の小道に入り込むことを防ぐためと聞いています。(子供の時に聞いた話なので、正確かは分かりませんが。)私が住んでた時の袖ヶ浦6丁目の人たちはそれを分かっているので、車で幕張方面に行くときに多少回り道でも不便とは感じていませんでした。(徒歩や自転車の時は、緑地帯の切れ目を抜けれるので。) なお、なぜ幕張西の地盤が袖ヶ浦より高くなったのかは知りません。今度、知ってそうな人に会ったら聞いてみます。 (2004年12月29日 H12I592) |
読 み 順 ↓ | 幕張西と袖ヶ浦の段差の違いは、1つ目は埋め立ての時期が違う、2つ目は幕張西地区の段差を出さないことです。 今も昔もそうですが、あの辺は裏道として有名で交通量が比較的多いところでした。 幕張インター手前の左側に入る道(今は閉鎖)も当時通行できたのですが、14号線が渋滞しているとき抜け道として利用する車が多く、地域の問題となっていました。 そのため協議の結果、抜け道として利用させないよう、障害物を置いて閉鎖されているのが現状です。 (2005年1月2日 H24I548) |