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↑ 読 み 順 | 塾に行ってる子はやはり.勉強はできますよねー。やれば,やっただけできるのかしら。低学年は.やはりやった量はできるに反映するとおもいます。一年生から我家は中学受験させると言い張ってる親を見ると変な時代になったなーと思います。いつ.やる気を引き出したらいいのかわからなくなってしまいます。低学年は家族の時間を大切にしたいですよね。 (2006年10月24日 H16I451) |
↑ 読 み 順 | 皆さんの意見を拝見して、私も・・・と思い書き込みさせていただきました 上の子が幼稚園に入った時先生に言われた言葉なんですが「初めてお母さんと離れて毎日頑張ってます。不安一杯の中一生懸命頑張ってます!なので、お子さんが帰ってきたら何も言わず命一杯抱きしめて上げて下さい。一日の出来事はまだ話せないと思うので、お子さんの不安やストレスを取ってあげる為にもそばにいて、抱きしめてあげて下さい」でした。その言葉に納得です。今その娘も一年生になりました。今、習い事はスイミングをしています。それは、気管が弱く体力をつける為に・・・です。 一年生になって習い事をする子供達が増えました。でも私は小学生になったから・・・ではなく、また新しい環境の中で頑張って帰ってくるわが子を抱きしめて迎えてあげよう・・・と。低学年の間なら勉強は親がみてあげれる範囲内なのでは?一緒に勉強するその間もいいスキンシップだと思うのは私だけなのでしょうかねぇ。足し算・引き算に高いお金をかけたくもないですし(汗) (2006年10月7日 H6I623) |
↑ 読 み 順 | 皆さん こんにちは。 拝読させて頂きました。各人 各ご家庭様々なお考えがあっていいのだと思います。 私の考えを述べさせて頂きます。 人間は成長にあわせて 体験したり教えられなければならないこと 仁 義 徳の習得などがあると考えます。 子供にとって大切な事は 「生きる力」の習得です。 子供は養育され扶養されている長い滑走路を滑走している間に 自分の進むべき目的地や方向を自分で考え 見出し 飛び立っていくのです。滑走している間に 様々な風雨や嵐 出来事を体験していかなければなりません。幼児や学童期は 人としての基本構造を作っている時期で この時期に(語弊があるかも知れませんが)必要でない異物が組み込まれたが故に 人として体験しておかなければならなかった事が欠落してしまう可能性もあります。時間は一日24時間しかないのです。子供は親との会話や体験 親の行動から学ぶ事も多く これは 幼児期や学童期にはさらに多いのです。親の都合で この大切な時期を逃すと 子供が大人になって子供を授かり養育する時 どのように子供と接していいか分からず 乳児が泣き止まないからといって 虐待したり 殺してしまったりという悲惨な事件の結果にもなっていると思います。社会性も親が夫婦 隣人や友人と良好な関係をしていけば 子供もどのように人と接していけばいいかという事を自然と身に付けていきます。 幼児や学童期のお稽古や塾は 子供の自由意志だとお思います。親の意向で通わせても 習うのは子供であり 子供がその意思がなければ 身につかないです。身についたとしても 子供が大きくなってから あの時 もっとブランコに乗ったり お砂遊びをしたり 御飯事をしたかったと思っても 時間は巻き戻せません。早期学習しても 東大や京大に必ずしもいけるわけではないです。いける人は たった1ヶ月勉強しただけでも 入学しています。 子供を守り 子供の福祉を考え 育てるのは 周りの大人の責任であり 両親の責任です。 子供に「人生を生き抜く力」を身に付けてあげる事が大切だと思います。 長文 お許し下さい。 (2006年10月7日 H28I569) |
↑ 読 み 順 | 皆さん こんにちは。 拝読させて頂きました。各人 各ご家庭様々なお考えがあっていいのだと思います。 私の考えを述べさせて頂きます。 人間は成長にあわせて 体験したり教えられなければならないこと 仁 義 徳の習得などがあると考えます。 子供にとって大切な事は 「生きる力」の習得です。 子供は養育され扶養されている長い滑走路を滑走している間に 自分の進むべき目的地や方向を自分で考え 見出し 飛び立っていくのです。滑走している間に 様々な風雨や嵐 出来事を体験していかなければなりません。幼児や学童期は 人としての基本構造を作っている時期で この時期に(語弊があるかも知れませんが)必要でない異物が組み込まれたが故に 人として体験しておかなければならなかった事が欠落してしまう可能性もあります。時間は一日24時間しかないのです。子供は親との会話や体験 親の行動から学ぶ事も多く これは 幼児期や学童期にはさらに多いのです。親の都合で この大切な時期を逃すと 子供が大人になって子供が授かり養育する時 どのように子供と接していいか分からず 乳児が泣き止まないからといって 虐待したり 殺してしまったりという悲惨な事件の結果にもなっていると思います。社会性も親が夫婦 隣人や友人と良好な関係をしていけば 子供もどのように人と接していけばいいかという事を自然と身に付けていきます。 幼児や学童期のお稽古や塾は 子供の自由意志だとお思います。親の意向で通わせても 習うのは子供であり 子供がその意思がなければ 身につかないです。身についたとしても 子供が大きくなってから あの時 もっとブランコに乗ったり お砂遊びをしたり 御飯事をしたかったと思っても 時間は巻き戻せません。早期学習しても 必ずしも東大や京大に必ずしもいけるわけではないです。いける人は たった1ヶ月勉強しただけでも 入学しています。 子供を守り 子供の福祉を考え 育てるのは 周りの大人の責任であり 両親の責任です。 子供が「人生を生き抜く力」を身に付けてあげる事が大切だと思います。 長文 お許し下さい。 (2006年10月7日 H28I569) |
↑ 読 み 順 | ずっと、読ませていただいていました。自分の子供の頃と世間がずいぶん変わってきてしまって「幼児教育」という事についても 色々と自分の中でも意見が分かれていたので。。。。。 今、息子は「保育の会」でとっても可愛がられて生活しています。来年からは幼稚園(2年保育)はどこに行っても、今に比べたら大所帯になってしまう不安に加え「勉強系」か「のびのび系」か?で悩んでいたのですが。。。。 他の家族との兼ね合い、息子と私との人間関係(っていうのも変ですが)皆さんのご意見などを参考にさせていただいて、願書締め切り前に決まりました。 ありがとうございました。 (2006年10月7日 H17I444) |
↑ 読 み 順 | ●新米ママ様 あなたのおっしゃった「普通ですよね」のお姿で、私はあなたがとても頑張っている素敵なお母さんだと思います。ちーずさんも指摘した、「今のお母さんはとても頑張っていると思います」の良い例でしょう。普通のことでなく、欲張り過ぎって、小さいお子さんを「塾通い・習い事漬け」にさせることに、私は不安を感じているわけですから。 前述したように、<塾や習い事は、その自体が悪いというより、本当に大事なことを経験する時間を「奪っていく」から、「失わせている」から、悪いのです。>と、私は思っています。 家での、先ず家族との、大事な時間が「しっかり確保」された上で、またお子さんに余力があり、「習い事」をするのであれば、私は安心です。しかし、このバランスを保つためは、週3.4種類の習い事や塾通いは、多すぎるとは思いませんか? 私の質問の意図はここにありますので、愛するお子さんの一生の宝物として与えたい「習い事」は、真剣に選び、適切に判断して良いでしょう。どんな「習い事」がより我が子に相応しいかという正確な分別力も、お子さんと一緒に大事な時間を十分に過ごされる親御さんであれば、勇断をおろせると思います。 また、お子さんは、幼稚園や小学校で凄く頑張っていますので、(人は誰しも、−より単純な人間であればあるほど、つまり幼い時は特に−他人に認められたいと思いますので、精一杯頑張っているのです。性格によってその姿が少しずつ違っても…)、家でゆっくりする時間は、Refreshのためでも、とても重要なのです。翌日また気持ちよく頑張れるよう、しっかり休ませることの判断も親の役目であると思います。(大人も流されやすいのに、子供たちはなおさらお友達に流され、力の加減を分からず、遊びすぎたりしますので…。) 話は少しずれますが、この時期、自分の頑張りが大人にしっかり認められた子供は、「自分に誇り高く」「頑張ることの大事さ」が分かるようになります。‘君は幼稚園で(又は、小学校で)十分頑張ってきたはずだから、もう放課後は、ママと一緒にゆっくりしよう!’という親御さんの一言が、どんなに子供の良心を刺激することか、−もし、その日、幼稚園で頑張っていなかったとしても、−明日は頑張ろう!という気持ちをもたらせるのです。(いちごママ様、これは一つの具体的な事例になりますか?) 「自分は認められている」というこの思いを子供たちに実感させるためでも、幼稚園(小学校)帰りのお子さんを、お家でしっかり受け入れるべきなのです。これが重要な「家庭教育」だと思います。「自分に誇り高く」「頑張ることの大事さを分かる」力は、どんなスキル(技術)よりも重要であります。 もう一度申しますが、<塾や習い事は、その自体が悪いというより、その回数が多すぎることによって、本当に大事なことを経験する時間を「奪っていく」から、「失わせている」から、悪いのです。> ●しらす様 お書き込み、ありがとうございます。私も少しはお役に立てたようで、この話題を‘まくじょ’に載せて良かったと、嬉しく思っています。 もし、お子さんが喜んでいるのであれば、3年保育も良いと思います。決して私は、“子供の成長を家庭だけで!”と言っているわけではございません。 可能であれば、親御さんが家の中で一人で孤軍奮闘幼してしまい子育てのノイローゼにかかったりするより、教育専門家−つまり幼稚園や学校の先生方々の知恵や力を借りることをお勧めします。3.4才のお子さんのその腕白さやエネルギーは、既に家庭教育では賄えず、現代になり、幼稚園教育等が公認されたことはとても良いことだと思っています。 ただ、幼稚園にも、小学校にも通っているのに、またその後「塾通い・習い事漬け」は良くないと思って、この話題を持ち出したのであります。 幼稚園や小学校で頑張る子供たちは、家での安らぎや親の愛情にも感謝できますので、もし、お子さんが嫌がらないのではなければ、行かせればどうでしょうか。しかし、くれぐれもあまり欲張りませんように!(^^) ●兼業主夫様 私は、あなたのお書き込みをとても嬉しく、拝読いたしました。素敵なお父さんに違いないと!思うのですが、もし違ったらすみません。 子供は、お父さんとお母さんの二人の愛の結晶なのに、日本ではあまりもお父さんたちの子に対する存在感が薄いな〜と思っています。一方、日本のお父さんたちは「働き過ぎっている」のにも関わらず、−それでお子さんの教育に関わる暇がないんだよ!とよく言われていますね!−、日本のお母さんたちは“亭主元気で、留守が良い”と言いつつ、そんなお父さんたちを救おうとしないことも不思議です。 同じく働き蜂であったドイツの男たちを、世界基準の労働時間にへと減らせ、職場から家庭に呼び戻したのは、ドイツの奥さん達でした。196.70年代、ドイツでは「子供のお父さんを家に帰せ!」というスローガンで市民運動があったと聞きました…。 どうして日本では、お父さん達を、重労働から解放させ、子供達と家で過ごせるように、働きかけないのでしょうかね? (2006年10月6日 H20I491) |
↑ 読 み 順 | 質問者さま 二人のお子様を育てて感じられたことを具体的な事例でお話いただけませんか。 もちろんお差し支えない(特定されない)程度で。。。 宜しくお願い致します。 (2006年10月6日 H30I563) |
↑ 読 み 順 | 私は、「おば」さんのご意見によって、なんとなくモヤモヤしていた自分がちょっとスッキリした気がします。 私も幼い子を持っており、来年幼稚園に入れるかどうか、はたまたどこにしようか、と迷っている最中です。 が、どうしてもココの幼稚園に入れたい、とか、英語やパソコン、文字のお勉強等々をがんばってほしい!とかいう強い希望がない分、幼稚園探し(選び?)をしている自分に疑問を感じたりもします。 子供と一緒にいられる時間はわずかだし2年保育でも十分だと思っていたはずなのに、なぜか3年保育で検討しはじめ、気付いたら3年保育メインで探していたり。 子供本人も幼稚園には興味津々で行きたがっていることもありますが、 なんか私、まわりに流されてるような・・・? と感じていたところに、「おば」さんの書き込みを拝見し、 なんとなく育児の本質のようなものを感じました。 だからと言って、「じゃあ習い事はさせないようにしよう!」 と思ったわけではありません。(習い事をしていなければいい、と理解したわけではないので。) 何事も、土台(基本?)がしっかりしていれば、その後多少のダメージを受けても崩れることはないのかな、と思ったりしました。 支離滅裂でわかりにくい文章になってしまいましたが、 「おば」さんならびに皆様の書き込みを読ませていただき、感謝いたします。 (2006年10月6日 H12I640) |
↑ 読 み 順 | おばさんのおっしゃりたいことは分かりました。とてもよいアドバイスを頂きました。小さいうちに「幸せ感」をたっぷり得ることが、大人になって幸せを感じることのできる人間になる一番の方法かな...と思っております。ですが、幸せをたっぷりさせるにはどうしたらいいのかなと悩んでいます。毎日外遊びをし、一緒にお風呂に入り、夕食を手伝ってもらい、絵本を読み、してます。(普通ですよね。すみません)だけど、やっぱり、毎日同じだと退屈するのか、習い事したいと言われます。そういえば私が喜ぶと思って言ってるようにはみえないし。そんなに習い事はだめですか。 (2006年10月6日 H21I778) |
↑ 読 み 順 | 根本的な部分で子育て、教育に対するスタンスに違いがあるのかもしれません。 子供の能力を引き出す、自立した子供に育てる、のびのびと子供時代を心豊かに過す等々質問者さんがこうあるべきと思われる姿と、核家族という形の中で始めて子育てをする親の「教育」の捉え方の違いではないかと思いました。 自分自身、子供時代いくつかの習い事をした経験があり、それが今になって思えばなにも残っていないのですが、反面、遊びの中で出会った様々な出来事が今、親になってとても役にたっているのです。 知らず知らずのウチに親は自分に無いモノを子供に求めてしまうのかもしれません。 自分に自信が無い部分を子供には同じ思いをさせたくないという意識からそうなるのかもしれません。 そこにつけ込む様々な業者が魅力的なプロモーションに乗せて煽るのです。 自分の無益な習い事経験から思うのですが、習い事をするなら親はそれなりの覚悟を決めてから始めるべきだと思います。 親が一方的に願う子供の輝かしい経歴造りの為に大切なものをスポイルしてしまっては意味がないですから。 それはそうと、中学校以上になってからの部活(特にスポーツ系)も悩ましい問題であると思うのは私だけでしょうか? 休日や夏休みまで練習する必要あるのか?と。 もはや家族と行動したがらない年代であることは理解しますが、それにしても行き過ぎの面が多々あると思うのです。 スポーツ信仰..ですかね。 (2006年10月6日 H24I442) |
↑ 読 み 順 | ひまわり様、あなたのご意見に同感です。 しかし、私が話題にしたいことは、決して、親御さんのわが子のための悩みの最終選択が、「塾通いや習い事になってはいけない」という点です。特に、幼児や小学生には…。 先日、公文でしょうか?日本語の本を読み聞かせるクラスがあると聞きました。今読ませているのは、日本の昔話の本だとか?びっくりしました!そんなことって、家でもお母さんができることでしょう? お母さんが読んであげると、読み方が下手でも、きっとわが子と一緒に読んでいる間に、日本語発達はもちろん、より大きい付加価値も得るはずなのに?と、思ってしまいます。 ‘お母さんたちって、外での働く方も多く、家の仕事までで大忙しいくて、そんな時間がないですよ!'と言われていますが、幼稚園児や小学生は既にある程度の家のお手伝いもできるし、家族が一緒にいる時間を増やすためでも、もっと家族で工夫して力を合わせる必要があるでしょう。本来お母様がやるべきことを、色んな理由を付け、塾通い・習い事をさせ、人任せにしているのではないでしょうか。 ひまわりさんのご指摘のように、生きることは、年齢に関係なく、「自分探し」を続けることだと同感します。 しかし、幼児や小学生の時に、本来もっと親の愛情で育てられるべきの時期でしょうに、人任せで外回りをさせられた人間は、道に迷っても、戻ってくる所のない「さびしい思い」をすると思います。先ほども少し述べましたが、幼い時、習い事や塾通いで力をつけても、中高の多感な時期に色んな誘惑にすぐ挫け、勢いや意欲がそがれ、落ちこぼれになる例が多いのも、そこに理由があると思います。 本当に子育てに悩んでいますか?しかし、ひまわりさんのご指摘のように、大人になった私たちも自分のことでも、悩み続けているでしょう?本当は自分のことで悩んでいるのではありませんか? 子供のための選択というより、「大人自分のための選択」を、ついお子さんに押し付けてはありませんか? 私は、却って、親御さんたちは、お子さんが幼稚園や学校に行きいない時間に、存分に「自分のため」時間を使い、−家事を先にするより− その後、幼稚園や小学校から帰宅してくるお子さんと一緒に、お家のことを一緒にしてみてはいかがですか、とお勧めしたいほどです。 お母さんもあなたたちが学校で頑張っている間、こんな仕事ができたと、こんな勉強ができたと、聞かせて良いと思います。それで一緒に家事をやったというご褒美で、一緒に美味しいものを一緒に召し上がったり、一緒に本を読んだり…。要するに、私は、放課後の子供に必要なのは、塾通いや習い事ではなく、今度は家で自分の時間を使う、親・兄弟と一緒に過ごす時間が必要であると伝えたいのです。 一緒にダラダラしても良いから、親子の連帯を深めることが、今後必ず思春期を迎えることになるお子さんに、大きな力になると思います。家族から得る喜びを学べないのは、本当にもったいないです。塾や習い事は、その自体が悪いというより、本当に大事なことを経験する時間を「奪っていく」から、「失わせている」から、悪いのです。 成長の早いお子さんは小学校高学年から、ゆっくり成長しているとしても中学生からは、人は皆、本格的に「自分探し」をすることになります。(幼稚園児や小学生は、自分探しをしていると言えません。親によって「させられているか」もしれませんが、その場合、<浮き草>です。) 実は私も、小学生から高校生に英語を教える立場にいて、時折、ご兄弟であることで小さいお子さんを受け持ったりしますが、その発達の遅さに時間の無駄だと思ったりします。しっかり自己を持って習い事をした場合、1.2ヶ月でクリアできる能力を、小さい子達は、何ヶ月をかけても、できない場合があります。実際、私の友人でアメリカ人の英語先生がいるのですが、英語教室に来る幼稚園児に「This is〜」「This is not〜」の概念を教えるのに、数ヶ月がかかり、それだけのため、日本の親御さんは毎月お月謝を払っていると苦笑いをしていました。 「何事でも、時期があります」。幼稚園と小学校には、プロの先生方がいて、それなりにとても頑張っています。もちろん、期待にはずれの先生方もいますが、私たち親がやることは、わが子が6.7時間過ごしている「学校の中」で、色んな願いや期待をすべきであり、放課後の幼い子どもたちをわざわざ塾通い・習い事にまで送るべきではないと思います。 幼稚園と学校を信頼することで先生方々を応援し、時には先生方が気づかないことに意見を述べ、協力するべきだと思います。それで放課後の幼いお子さんの成長は、親御さんで受け持ちます…。 こんな私も、既に自己意識を持ち始めた中高生をお持ちの親御さんには、それぞれの個性を伸ばす(ひまわりさんは「引き出す」と言いましたね)習い事や塾通いをお勧めします。 もう遅いって?いや、絶対遅くありません。本当に自分の個性であれば、そのための「センス」を持っていますし、そんな時まで待たせた分、伸びも驚くほど速いのです。 ゴルフの「ウィ」選手や卓球の「愛」ちゃんの姿をわが子に求めていますか?3歳の時から、泣き泣き力をつけ、今は世界的選手になることはそんなに素敵な人生でしょうか。12.3才の時に親元を離れ、次々現れる強敵を倒すため、人の寝ている時間にも練習を続けなければならない人生だけが、そんなに素敵なのですか?数えなれない負けがあり、その苦しみを乗り越え、若くして、人生の頂点に立ち、またその後は、新たに登場する若い人材に座を奪われ、残り60.70年人生を降り道を歩むことになったら?…。 私は決して、そんな人生の何人かを非難するつもりではありません。やはり、ひと倍頑張る人生を選んだ方々ですから、それなりの幸運も祈っています。 しかし、幕張周辺の若いお母様たちによる、「早すぎ・行き過ぎの塾通い・習い事」には、思わず不安を抱いていると伝えたいのです。「浮き草の多い水は濁りやすく」、そのような人間が多く成長する社会は乱れがっちです。 もう子育てをそろそろ終わらせている「おば」は、世話好きにも、人様の子育てにまで口を出しているのです。できれば、幼い時に本来の幸せをゆっくりとたっぷり味わい、その安定の上、自分らしさの力をつけ、自分だけでなく人のためも世のためも使える「溢れる幸福感」を持った人々がより多く増えれば良いな〜と願っているのです。 この年れいになり、この世の中は、物理的な物の量や力に比例し、幸せの大きさが決まるのではないという、今までの経験と確信を断固たるものになりました。「幸せ探し上手」な人がいて、そんな人は必ず「幸せの味」を分かっている人であり、食べ物の味を学ぶのと同じく、人間は「幼い時期」に本来の幸せをより確実に身につけることなのです。… もちろん、幼い子供の健全な成長が、お母様の一手に負かされていることも問題です。お父さんたちと一緒に工夫し…、いやいやこの話はまた長くなりますので、別の機会にしましょう。 度々、長々と失礼いたしました。 (2006年10月6日 H20I491) |
↑ 読 み 順 | 忙しい子供にゆとり教育といって土曜日を休みにしても、結局塾や習い事などで家族と過ごす時間や友達と遊ぶことも少なくいるとういう本末転倒な結果ですよね。 質問者さんの言うこともわかります。子供にとって何が必要で何が大切なのかをどこの親御さんも悩み、考えていると思います。 その結果、塾通いや習い事を選択されている方もいるのでしょう。 「教育」というと、教え込むという感じがしますが、私の高校の担任が言った言葉で印象だったのが、「教育は、引き出す」ということです。自分の中にある美点を見つけ、それを伸ばしていくことだと。教師はそのきっかけや案内役にすぎないのだと。 「個性を重視」「個性を伸ばす」とは、自分は何が好きなのかを見つけ、美点を発見し、それを伸ばしていくことではないでしょうか。 そういう意味では、子供はまだ自分探しの途中だといえます。 当然、道に迷ったり、また来た道を戻ってきたりすることもあるでしょう。悩みながら、自分がどんな人間で何をやりたいのか、何ができるのかを探していく、大人になってもそれは続いていると思います。 (2006年10月6日 H9I432) |
↑ 読 み 順 | 何事も「何もやらないよりは、やるのが良い!」と普段は考えています。どんな習い事も、それぞれの良さがおありでしょうから、しっかり「お子さんの体力や性格」等をよく分かるはずの、一番身近な存在、お母様がお子さんの習い事を決めていくのも良いことでしょう。「お子さんが喜んでいる」と言っても、幼稚園児や小学生の場合、まだ自己表現や主張が定かではありませんのでお母さんの愛情を求め、お母さんの望む姿を演じるという楽な自分を見せているのかも知れません。小さいとしても、本能的に賢いのです。やはり一生の宝物としてお子さんに身に付けてほしいものに関しては、保護者の判断は大事であると思います。 しかしながら、この話題の質問者である私としては、「やりすぎる」のは、「何もしない」のと同じ結果をもたらすことで、却って成長期のお子さんにとって「失うものがより多い」という見ているのです。 今のお子さんは、幼稚園で、また小学校で、まだ幼いのにも関わらず、母親から離れ、十分な時間を過ごして頑張っていると思います。まだ素直ですし…。 今の時期、多くの若いお母さんがお子さんのため「幼稚園探し」に忙しく動いている姿には、微笑みながら心から応援しています。これから2年・3年間毎日通うお子さんの居場所ですから、やはり今だけのことだと思い、精一杯探し回るべきだと思います。しかし、そんな探求の後、いったん入園させた後は、幼稚園への「厚い信頼と応援」で、お子さんをお願いするべきだと思います。その思いは、お子さんにも自然に伝わり、自分の通う幼稚園で居心地よさを感じながら安心を覚えるからです。 反面、どうでしょう?頑張って幼稚園で過ごして家に戻っても、またお母さんに連れられ「塾通い」「習い事通い」?−このことは、お子さんに毎日通っている幼稚園に対する「不信と不安」を覚えさせることであり、どんな場所でも「もの足りなさ」でいらいらし、落ち着きのない気持ちをもたせるのではありませんか?同時に、ホッとして休めるだろうと思い帰宅した「家」に対しても、同じことが起きるでしょう!だって、お母さんが、家に居させるより、すぐ外に外に連れて行きますから。夕方が過ぎ、家に戻っても、存分に家での生活に感謝できない、すぐ疲れれる体力ては?…。 同じことが、小学校でも起きていると思います。小学生は、少しは自己が発達されていて、もっと厳しいめざしで、自分を囲んでいる世界、つまり「家と学校」「大人とお友達」を見つめます。お母さんたちの、お子さんに少しでも多く学ばせたいという思いでまた第3の教育現場、塾や習い事の場所に行かせる願いはは、お子さんに、「毎日通わなければならない小学校」を「どうでも良いところ」にさせ、そこで出会う人間、先生や友達の存在に「真の関係」を求めず、<浮き草>のような生活をさせてはありませんか?学校では既に塾で習ったところを教えているので、勉強はつまらないし、お友達も、塾に行けばまたまた嫌になるほどまた会え、いっぱいいますもの…。 しかし、一度<浮き草>の覚えた人間は、どこに行っても同じでしょう。きっと塾に行っても、「これは今度また学校でも習うから」とか、塾で一緒に勉強する友達や先生についても、すぐ嫌気を覚えたり…。程ほど浮かれて時間を過ごすと思います。 私は、50年代生まれで、働き蜂であった両親の留守により、帰宅が遅く、その背中を見ながらしか学べなかったけど、だからこそ、「自分に新しい知識や学び」ができるところは、唯一「学校」だけであって先生の授業も「新鮮で面白く」集中して学べたと思います。そこで会えるお友達とも嬉しくて嬉しくて、時には楽しく、時には争いながらも、深い関係を作ってきたと思います。 また親には、放課後にはできるだけ家に居るように言われましたので、その後は、家が自分の世界のほとんどでした。もちろん家に戻れば、宿題もしなければならなく、親から頼まれた家のこともしなければならなかったが、しかし、それなりに、わが家でしかできない楽しみがあって、だらだらゆっくり休めたし、一人で居られる時間もありがたく、しかし、また時間が経つと、皆とワイワイできる「学校」っていいな〜、とつくづく思いながら、翌日の登校が愉しみで…。 私は、もう大学生と高校生の子を持っていて、その間、わが子供たちの周りで、多くの熱情的なお母様たちとお子さんを見てきました。塾や習い事をしていた分、幼稚園や小学校では幾分実力の目立つお子さんたちであったことは確かですが、90%と言い切って宜しいでしょうか、ほとんどが中学校や高校までには、何らかの理由で、落ちこぼれになることも見てきました…。 私は、もう既にあまりも長い文章を書き、申し訳なく思っています。またの機会でお話を続けることにし、ここでは、先ず結論としては、幼稚園児や小学生がもっとも求めていることは、「根の下ろせる」安定感の確保、自分を囲んでいる世界への「深い絆と感謝の気持ち」であるということです。こんなに、幼稚園や学校以外に、多様な習い事や塾に連れまわされるのは、そんな大事な思いを「失う」だけの結果をもたらすのだと、お伝えしたいです。 (2006年10月6日 H20I491) |
↑ 読 み 順 | 私も子供の塾通いって凄いなーと日々思ってます。皆さん週2回の公文に英語.運動系.音楽系のだいたい四つ。遊べる日が一日か二日あるかです。かかる費用だってすごいですよね。兄弟がいれば倍ですし。なんてゆとりの有る家庭の子が多いこと。友達関係も必然と塾の曜日が合わないと遊べないので限られて狭くなるのも現実。高学年になれば.中学受験で塾通いに拍車がかかるみたいだし。はー,憂鬱です。こんな環境で育てて良いのかしらと。 我が家は.運動系の習い事をひとつだけしています。 (2006年10月5日 H16I451) |
↑ 読 み 順 | 子供が自主的に行きたい場合や、親の思いで塾に行かせるのは各家庭のそれぞれ事情が違うとおもいます。 私も自分の小さい時はこうだった。生活していてイライラしたりする時がありました。 しかし今と昔では環境が全く違うし、子供にとっては今が初めてなので勝手に親が比べてしまっているし、子供と考え方が違うのは、自分が親に言われたことをそのまま子供に伝えているとは限りません。(実際に行っている方m(__)m) だからこそ、私達の知っている良い部分 (遅く帰ってくるかも知らないお父さんを待ちながら、過ごしながら時間…。)を子供に伝えるのも大切な事とおもいます。 すみません。上手く伝わるか心配ですが、勉強も家庭も大事と言いたいのです。。。。 今のお母さんはとても頑張っているとおもいます。 (2006年10月5日 H24I310) |
↑ 読 み 順 | 習い事には良い面もたくさんあります。 娘は4歳で、週4回3種類の習い事に通っています。 私も最初は色々心配していましたが、本人の希望で始め、仲良しのお友達と良い意味で刺激しあって成長し、なにより楽しそうに頑張っています。それぞれ宿題もたくさん出ますが、自分から進んで張り切って親と一緒に勉強しています。 「色々なことを覚えると楽しい」と言っています。 親も色々勉強になります。 (2006年10月4日 H15I198) |
↑ 読 み 順 | 「奥さん」のおっしゃる様に、全く個人の考え方…だと思います。 私も、夏休みの宿題がほとんど無いことに「愕然」としました。 皆さん、子供の将来の事を思い、子供にあった未来を模索しているのだと思います。 我が家に余裕があれば。、もっと習い事をさせたいと言うのが本音です。 (2006年10月4日 H20I393) |
↑ 読 み 順 | 個人の考え方ですので、否定も肯定も出来ませんが、少なくとも昔よりは義務教育での勉強量は減っています。夏休みの宿題も然りです。 それを家庭で補おうと言う考えを持つ親御さんが多くなるのも致し方ないと思う、夏休みの宿題にヒ〜ヒ〜言ってた私の感想です。 (2006年10月4日 H9I757) |
↑ 読 み 順 | 新米ママさんの意見に同感です。 その子の性格や興味にもよるかもしれませんが、 3〜4歳くらいになれば、自分のやりたい意思を言うようになります。 私はその意思を尊重してあげてもいいと思っています。 子供に環境や体験を与えてあげてこそわかることも、たくさんありますよね。何もしないで何も知らないまま・・・になるよりいいと思います。 (2006年10月4日 H16I451) |
↑ 読 み 順 | 子供を持つまでは、私も同意見でした。でも、子供がやりたい!と言うんです。とりあえず本人が興味をもったものをいろいろやらせてみて、その中から厳選していけばいいのかなと思っています。放課後、習い事のない日や習い事の後は外遊びをたっぷりしています。家にいてずっとテレビを見てすごすようではよくないと思います。その子その子の性格や、体力などによるのではないでしょうか。 (2006年10月3日 H21I825) |
↑ 読 み 順 | あるものを教える仕事に就いていますが多いですよね。 特にここ数年は質はともかく数においては抜きん出ている気がします。 多い子は公文や塾(週2.3回)、英語にスイミング、楽器・・ はたまたバレエや新体操まで、平均4つ5つはざらにいます。 仕事をしている親からしてみれば子供の所在がはっきりするのと 身に付けてくれれば一石二鳥なのかもしれませんが、 教える立場の私が言うのは気が引けますが、ちょっと可哀想な 気さえしています。 どれもこれも中途半端で先に親がギブアップしてしまうケースは 実際多々あります。特にお仕事をされている親御さんの場合、 子供の宿題を見てあげる時間がほとんどありませんので、 自分の許容範囲を超えてある日突然全て辞めてしまう事も。 小学校中学年になれば受験を視野に入れての塾通いが多少増える のは理解出来ますが、せめてそれ以外の習い事を少し減らして あげる等の工夫がなければ、子供は毎日の時間をスケジュール化 されてストレスを抱えたまま生活する事になりかねないと感じて います。 何事も量より質じゃないかと思うんですが、いかがでしょう。 (2006年10月3日 H21I420) |